学歴を得るだけの大学にさよならを、そして真の実力社会の到来と。
Google独自の半年間教育プログラムは、教育の本質的な姿を示している
以前、自分のツイッターで下記のことを呟いた。
何を教育すべきか、という本質を突いた。日本の大学は、大卒という学歴だけを得るための存在になっている。そんな大学はいずれ淘汰されるよね。 https://t.co/7aOwvEgMa0
— てんどん丸 (@tendonmaru_zui) 2021年2月18日
Googleが独自の半年の教育プログラムを開始する。大学の学費より格安で、かつ実践的なスキルを教え、その教育プログラムの卒業証明書を大学卒と同様に扱うというものである。
まさに、教育のあるべき姿である。
新型コロナで顕在化した、日本の大学の問題
日本の大学の講義は、先生が一方的にしゃべる授業が大半である。学生が参加することもない、学生に考えさせることもしない、出席して期末テストでそこそこの点数が取れれば単位が取得できるシステムである。
そのため、広い講義室で何百人という生徒を部屋に詰め込んで先生が一方的にしゃべれば、一応授業を受けたことになり、先生も学生に対して授業をしたことになる。学生も先生も勉強を「したふり」をこれまでずーっと続けてきた。学生一人ひとりに何を学ばせるのか、これからの時代を生きていくための学びとは何かという本質的な観点は無視されてきた。
このような大学の教育がずーっと続けられてきた一つに、大学の授業以外での補填があった。部活、サークル、恋愛、初めての一人暮らし・・・そういったものも含めて「大学生活」と考えられていた。だから「授業は中身が無くて何に役に立つかさっぱりわからないし、まじめに受ける気ないけど、テスト通れば単位取れるし、一人暮らしは気楽だし恋人もできたし、まあたのしーからいいか」となって、大学の授業の本質は見過ごされてきたのであった。
しかし、新型コロナウイルスの流行により、大学はオンラインでの授業を余儀なくされた。大学生は1日中パソコンの画面を見つめ授業を受けることになった。
そこで、大学の授業の本質と価値を直視せざるをえなくなったのだ。これまで大学の補填に役立っていた部活、サークルなどの授業以外の活動が一切なくなったからである。大学の学費は決して安くはない。大学に通っていないのに、変わらずに学費の請求書が届く。
そして学生は思うのだ。「大学の学費に見合った授業を受けていない。」
学びの質と内容を重視する世界
冒頭のGoogleの半年間の教育プログラムは、まさに教育の質・内容にコミットした取り組みであるといえる。そして、今後は「あなたは何ができますか」という本質が問われる時代になっていく。学歴が人の実力を保証するという考えはもう古い。
2012年からアメリカ、中国、イギリス等の名門大学が無料オンライン講座を公開し、住んでいる環境や経済力に関係なく、学ぶ意欲さえあれば講座を受けることが可能である。東京大学では2013年より開始されている。
大学のオンライン講座でなくても、現在はyoutubeなどでも勉強等の解説動画が公開されている。高度な知識も無料で得ることができる時代になった。
高度な知識、社会が求める実践的な知識が無料で得られるようになれば、付加価値を提供できない大学は滅びていくだろう。
そして、真の実力社会が到来する。
現代は、インターネットさえあればいろいろな学習教材が無料、あるいは一昔前とは比較にならないほどの安価で手に入る時代である。
そしてそれは、大学(高校や中学も含まれるかもしれない)の価値を暴落させた。学歴では評価がされなくなる。大学は学生に何を提供できるのか真剣に考えなければ淘汰される。
そして、それは学生にも突きつけられる。
学生は、大学卒という学歴だけでは評価されなくなり、「あなたは何ができますか」を問われることになる。そして、それはすでに始まっている。
それは新卒一括採用の廃止である。新卒者も一般労働者と同じフィールドで職を探すことになるのだ。そうなると、新卒者は大学時代に得た学びや能力を転職組と比較されることになる。今までは実力が無くても「やる気」や「面接時に空気を読んで発言するスキル」、「学歴」や「容姿」で凌げても、これからは一切通用しなくなるだろう。
企業としては、採用するのなら教育コストのかからない即戦力の転職組を採用する方が合理的である。転職組を押しのけて「この子は優秀だ」と思えるような新卒者しか採用しなくなる。
ごまかしが効かない真の実力社会の到来である。
社会人も他人事ではない、実力社会の到来に対しどうすればよいのか。上記に示した通り、意欲があれば安価で質の高い学びが受けられる環境はすでに整っている。我々は、地道にそして貪欲に学びを自分のものにし、仕事に活かしていくしかないのだろう。
しかしながら、これだけ技術が高度化していくと、より高度な能力を持った人材が求められる。時代の高度化についていけない人間はどうやって生きていけばよいのだろうか。
実力社会とは合理化によるものであり、合理化を実施していくと端的には貧富の差が激しく、失業率が高くなるなど、他の問題も生じるのではないか。
それらに対してどうしていけばよいのか、自分の中でまだ答えは出ていない。