てんどん丸の随想録

日常で感じたことをぽちぽち書いていきます。

自分の大学受験の話

自分の大学受験の話~高校1年生のとき~

幼少の頃より、自分は親から「お金が無い」と言われて育った。そのため、学生時代の最優先事項は「お金がかからないようにすること」であった。よって、自分の進学先は公立の学校であり、それ以外は選択肢が無い、と考えていた。

※私立の学校が悪いという意味ではなく、自分の家計の状況を考えた場合は公立の学校が合っていた、という意味です。

 

市立の小学校、中学校を経て、幸運にも公立の高校に進学できた自分は、高校1年生の時の担任に就職をしたいと伝えた。自分が入学した高校は進学校ではあったが、現在の家計では大学に入学したところで学費の支払いに苦労することが目に見えていたためであった。

1年生の担任の先生は、大学生の時に苦学をした人であった。昼は大学に通い、夜は警備の仕事をして自ら学費を稼いでいた。両親からは一銭もお金を頂いていないそうだ。

そんな先生に言われた言葉は「大学へ行け。学歴は金になる。高卒と大卒では生涯年収が明らかに違うぞ。」というものであった。

本来、お給料というものは良い仕事(パフォーマンス)に対して支払われるものであって、学歴に対して払うものではないとは思ったものの、その先生の言葉はものすごく重かった。先生自身が苦労して得た結論であって、薄っぺらさがまったくなかった。

色々考えた末に、大学へ進学しようと決断した。

 

自分の大学受験の話~高校3年生のとき~

それから月日は流れ、自分は高校3年生になっていた。大学受験のための勉強をする1年間である。その時の自分の最優先事項は相変わらず「お金がかからないようにすること」であった。よって大学は「自宅から通える公立大学」しか選択肢は無かった。ゆえに、自分には興味のある学部を選ぶ権利はなく、お金がかからない大学と学部へ進学することしかできないのだと考えていた。

自分は高校の定期テストの成績がそこそこ良かったため、「自宅から通える公立大学」の推薦入試のチャンスを得ることができた。ものすごく嬉しかった。興味のある学部の進学をさっさと諦めてよかった、自分の選択は正しかったんだ、これまで努力してきてよかった…などいろいろな思いが溢れた。その「自宅から通える公立大学」の推薦入試の日は12月1日であった。

推薦入試が決まったあたりから、自分の成績はぐんぐん伸びた。先生もびっくりするくらいであった。今思えば、自分は浮かれていた。

特別進学クラスの子(ここではA君とする)も、自分が進学を希望していた「自宅から通える公立大学」の推薦入試を希望していたそうだが、推薦入試の枠は1つの高校に1人であり、自分が推薦入試の枠を得てしまったため、受けれなくなってしまったそうだ。ちなみに、自分は普通クラスであった。

A君に言われた。

「俺も○○大学に行きたいんだ。取ったからには絶対に受かれよ。ひとりでもライバルを減らしたい。」

自分の選択は正しかったという思いがどんどん強くなっていった。

そして、推薦入試が間近に迫った11月末、自分はインフルエンザにかかった。

ただのインフルエンザではない、当時流行していた新型インフルエンザである。インフルエンザの予防接種はしていたが、新型インフルエンザのワクチンは、自分の住んでいる地域ではまだ出回っていなかった。

医師から新型インフルエンザである旨を伝えられた時、思わず「1週間後に大学受験なんですけど…」と泣きながらつぶやいてしまった。医師はぎょっとした顔になり固まり「い、インフルエンザでも黙って受験する人きっといるよぉ!」と言い放ち、看護師の人は泣き出した自分を見て泣き出していた。いい人である。

当然ながら、新型インフルエンザが完治しないまま受験などできないので、全力で治そうと試みた。どんどん熱が上がり40度近くの熱が3日3晩続いた。その間、寝れないし勉強はできないし不安になるしで大変であった。しかし、できる限りのことをするのだと心に誓っていた。

 

そしてなんとか12月1日を迎え、推薦入試を無事終えた。結果は不合格であった。

 

自分が受けたときの推薦入試の問題は、近年稀に見るほど簡単な問題であり、当時推薦入試の指導をしてくれた先生も不思議に思うくらいの簡単な内容であった。ゆえに「てんどん丸君なら簡単だったでしょ!」と言われた。

 

しかし、自分は気づいていた。自分は不合格になると。推薦入試が終わった直後から感じていた。問題を解く感覚が、調子が良かった時と異なるのだ。

他人は誤魔化せても自分は誤魔化せない。信じたくはないが、不合格になると確信していた。

 

それから自分の成績は、面白いぐらい落ちていった。皆が成績をどんどん伸ばしていく中で、自分は急降下していった。推薦入試の直前に新型インフルエンザにかかったことが相当ショックだったようだ。

自分は、なぜこうなのだろう?自分の興味のあることを諦めて、お金がかからないことを最優先にしてきた、自分がなにか悪い事をしたのだろうか?

突然泣き出すことが多くなった。

勉強しなければならないと頭ではわかっているが、勉強しても頭に入らなくなっていた。

 当然センター試験は惨敗で、推薦入試を受けた大学はE判定である。

担任の先生はホームルームでは「行く大学で人生変わるぞ!」と𠮟咤激励するが、自分との個人面談の時は、憔悴しきった自分を目の前にすると、「大学なんてどこ行っても一緒だから、私大も考えたほうがいいよ」ともはや全く違うことを言うようになってしまった。

担任の先生と相談した結果、センター試験の結果を踏まえてもう一つの「自宅から通える公立大学」を受験することにした。正直、受かるか微妙な大学(C判定)であった。受験する学部も選んでもらった(もはや自分で選ぶ力も無かった)。併願は受けないと決めた自分に対してハラハラしていたが、受験対策も丁寧にしてもらい、先生には今もすごく感謝している。

 

もう一つの「自宅から通える公立大学」は、後期試験で合格した。担任の先生に合格を伝えたところ驚きすぎて叫んでいた。その後、職員室にダッシュし「てんどん丸君受かったって!!」と踊りながら叫んでいた。いい人である。その時の自分はというと、うれしいとも何も感じなくなっていた。

推薦入試を受験してから後期試験の結果が出るまでの時間は、気が狂いそうだったため、人間性の一部が欠如していたのだ、と今なら冷静に分析することができる。当時の自分の顔は無表情で、喜怒哀楽が全くなかった。

 

自分の大学受験の話~大学入学後~

大学入学後、1か月くらい経ったあたりだろうか。

A君を見かけた。大学へ行くためにバスを待っていた。A君が乗るバスは、私立大学へ行くバスであった。

 

 今になって振り返ると、当時の自分は、お金がかからないことでしか自分の価値を感じない狭い考えに囚われていた。高い安いだけが基準になっている、危うい状態であった。自分がどうなりたいとか、何のために勉強するのかについては、一切考えていなかったのだ。

これは貴重な経験であった。この経験は、ゆっくりとわずかずつ、しかし確実に自分に影響を与えたのだと、今なら思うのだ。