てんどん丸の随想録

日常で感じたことをぽちぽち書いていきます。

学歴を得るだけの大学にさよならを、そして真の実力社会の到来と。

Google独自の半年間教育プログラムは、教育の本質的な姿を示している

以前、自分のツイッターで下記のことを呟いた。

 Googleが独自の半年の教育プログラムを開始する。大学の学費より格安で、かつ実践的なスキルを教え、その教育プログラムの卒業証明書を大学卒と同様に扱うというものである。

まさに、教育のあるべき姿である。

 

新型コロナで顕在化した、日本の大学の問題

日本の大学の講義は、先生が一方的にしゃべる授業が大半である。学生が参加することもない、学生に考えさせることもしない、出席して期末テストでそこそこの点数が取れれば単位が取得できるシステムである。

そのため、広い講義室で何百人という生徒を部屋に詰め込んで先生が一方的にしゃべれば、一応授業を受けたことになり、先生も学生に対して授業をしたことになる。学生も先生も勉強を「したふり」をこれまでずーっと続けてきた。学生一人ひとりに何を学ばせるのか、これからの時代を生きていくための学びとは何かという本質的な観点は無視されてきた。

このような大学の教育がずーっと続けられてきた一つに、大学の授業以外での補填があった。部活、サークル、恋愛、初めての一人暮らし・・・そういったものも含めて「大学生活」と考えられていた。だから「授業は中身が無くて何に役に立つかさっぱりわからないし、まじめに受ける気ないけど、テスト通れば単位取れるし、一人暮らしは気楽だし恋人もできたし、まあたのしーからいいか」となって、大学の授業の本質は見過ごされてきたのであった。

しかし、新型コロナウイルスの流行により、大学はオンラインでの授業を余儀なくされた。大学生は1日中パソコンの画面を見つめ授業を受けることになった。

そこで、大学の授業の本質と価値を直視せざるをえなくなったのだ。これまで大学の補填に役立っていた部活、サークルなどの授業以外の活動が一切なくなったからである。大学の学費は決して安くはない。大学に通っていないのに、変わらずに学費の請求書が届く。

そして学生は思うのだ。「大学の学費に見合った授業を受けていない。」

 

学びの質と内容を重視する世界

冒頭のGoogleの半年間の教育プログラムは、まさに教育の質・内容にコミットした取り組みであるといえる。そして、今後は「あなたは何ができますか」という本質が問われる時代になっていく。学歴が人の実力を保証するという考えはもう古い。

2012年からアメリカ、中国、イギリス等の名門大学が無料オンライン講座を公開し、住んでいる環境や経済力に関係なく、学ぶ意欲さえあれば講座を受けることが可能である。東京大学では2013年より開始されている。

www.nhk.or.jp

 大学のオンライン講座でなくても、現在はyoutubeなどでも勉強等の解説動画が公開されている。高度な知識も無料で得ることができる時代になった。

高度な知識、社会が求める実践的な知識が無料で得られるようになれば、付加価値を提供できない大学は滅びていくだろう。

 

そして、真の実力社会が到来する。

現代は、インターネットさえあればいろいろな学習教材が無料、あるいは一昔前とは比較にならないほどの安価で手に入る時代である。

そしてそれは、大学(高校や中学も含まれるかもしれない)の価値を暴落させた。学歴では評価がされなくなる。大学は学生に何を提供できるのか真剣に考えなければ淘汰される。

そして、それは学生にも突きつけられる。

学生は、大学卒という学歴だけでは評価されなくなり、「あなたは何ができますか」を問われることになる。そして、それはすでに始まっている。

それは新卒一括採用の廃止である。新卒者も一般労働者と同じフィールドで職を探すことになるのだ。そうなると、新卒者は大学時代に得た学びや能力を転職組と比較されることになる。今までは実力が無くても「やる気」や「面接時に空気を読んで発言するスキル」、「学歴」や「容姿」で凌げても、これからは一切通用しなくなるだろう。

 企業としては、採用するのなら教育コストのかからない即戦力の転職組を採用する方が合理的である。転職組を押しのけて「この子は優秀だ」と思えるような新卒者しか採用しなくなる。

 

ごまかしが効かない真の実力社会の到来である。

 

社会人も他人事ではない、実力社会の到来に対しどうすればよいのか。上記に示した通り、意欲があれば安価で質の高い学びが受けられる環境はすでに整っている。我々は、地道にそして貪欲に学びを自分のものにし、仕事に活かしていくしかないのだろう。

 

 

しかしながら、これだけ技術が高度化していくと、より高度な能力を持った人材が求められる。時代の高度化についていけない人間はどうやって生きていけばよいのだろうか。

実力社会とは合理化によるものであり、合理化を実施していくと端的には貧富の差が激しく、失業率が高くなるなど、他の問題も生じるのではないか。

 

それらに対してどうしていけばよいのか、自分の中でまだ答えは出ていない。

就活の時「志望動機は”家から近いからです”って書くんだ!!」と大真面目に言われた話

期待した答えは、得られないことがある。

専門家に相談したら、自分が抱えている問題が解決する!と一般的には考えがちではあるが、そういうことばかりではない。少なくとも自分は、相談→解決というハッピーシナリオを辿ったことはない。今回はそんなお話。

「志望動機は”家から近いからです”って書くんだ!!」

自分は大学を卒業してから就職活動を行った。その際、職業紹介事業を行っている機関を利用したこともあった。

当時は就職氷河期だったらしい(後から知った)。

自分は「兎にも角にも、何でもいいから就職しなければ!!」というタイプではなかった。「何にも考えないで就職したら、あとで困りそうだナー」と考えるタイプであった。

しかし、それなりに焦りというものもあったので、職業紹介事業の事務所へ行ってみることにした。

受付を済まし、相談員さんとの面談が始まった。相談員さんを仮にTさんとする。Tさんは自分が卒業した大学の就職支援課とも緊密に連携をして、大学生および既卒の人の就職支援を行っていると自己紹介をした。

そこから、履歴書と志望動機の書き方のレクチャーが始まった。

第一声に、自分は耳を疑った。

 

Tさん「志望動機は”家から近いからです”って書くんだ!!」

自分「…?」

Tさん「家から近いというのは、志望動機として重要だ!!」

自分「・・・?!?!??(; ・`д・´)」

 

なんだこりゃ、本気で言ってんのかと思ってTさんの顔をまじまじと見ると、彼は本気で言っていた。はあ。

Tさんいわく「家から近いと通いやすいって思ってもらいやすい」という理論らしい。残念ながら、それはTさんの理論であって、求人している企業の理論ではない。

 

求人している企業が求める志望動機は、あなたはどんな人間で、その人間性をその企業でどのように発揮するか、を聞きたいと予想される。予想されると書いたのは、正直、会社なんて入社しないと具体的にどのようなことをするのかなんてさっぱりわからないのだから「御社の○○業務に役に立ちます!」と言ったところで、学生の想像である。実際はわからない。よって、想像上の役に立つというセリフなんて聞きたくないという企業もいるかもしれないからだ。

企業の採用担当官も「入社しないと会社がどのようなものか正確にはわからない」というのを理解しているため、志望動機を聞かないという企業もあると聞く。

よって、志望動機に絡めて伝えることとして、最もお互いに役に立つであろう情報は「自分はどんな人間か」が最適なのではないか。

・・・というのを当時23歳の自分ですら理解していたのだが、50代後半に見えるTさんは理解していないようであった。

「家から近い」なんて、企業側が聞きたいと思ってんのかね。

こんなレクチャーを求職者全員にしてんのかい。おおこわ。

 

この事務所には、それ以後行くのをやめた。

 

行くのをやめて1か月、職業紹介事業の事務所から電話があった。自分がまったく顔を見せなくなったのでどうしたのか尋ねられた。自分は「いい求人が無いのだ」と答えると「そんなこと言ってるから就職できないんだ!!」と怒られた。正直、ロクなアドバイスもできない所に行っても時間の無駄である、というか、この事務所のアドバイスをまともに受けても採用される気がしないから行かないんだけどね、と心の中で思いつつ、その後もその事務所には行かなかった(当然である)。

 

さらに2か月後、職業紹介事業の事務所から電話があった。Tさんが電話をかけてきて「最近、事務所へ相談に来ないからどうしたのかと思い電話した」と言われた。その時には、自分は内定を頂いていたので「就職先は決まった、1か月後には入社する」と回答した。

その時のTさんの電話の向こうの反応が

Tさん「えっ・・・・・・・・・(しばらく沈黙)」

であった。「就職決まったのか?コイツが?」という空気感を出していた。

どうやらその事務所では自分は就職する気が無い&事務所に通いもしない問題児として認識されていたようである。

 

専門家ではあるが、自分の案件には役に立たない。あるいは、専門家に見えるが、ただ単にその組織に所属しているだけ。

Tさんは酷い例であるが、専門家であっても自分の案件に役に立たない時がある。

1)専門家ではあるが、自分の案件には役に立たない。

(料理人で例えると、自分は中華料理について聞きたいが、相談に乗ってくれた専門家が和食料理人だったとき)→中華の料理人をさがすことで解決。

2)専門家の組織に所属しているが、ただ単にその組織に所属していて、機能はしていない。

(またまた料理人で例えると、店の料理人として所属しているが、実際には料理をしてない料理人。)→料理をしている人を探すことで解決。

 

Tさんには志望理由のレクチャーしか受けていないので1)、2)のどちらのタイプなのかはわからない。その他の分野では素晴らしいアドバイスをくれる人かもしれない。(しかし、Tさんのアドバイスは許されるものではないだろう。)

 

専門家は必ずしも答えをくれる存在ではないので、自分で考えるしかない。専門家を自ら選び、必要であれば見切ることも必要。

就職の分野に限らず、専門家とは必ずしも自分が求める問題の答えを持っているとは限らない。先程、料理を例に挙げたが、料理という枠で考えても、和食、中華、フレンチ、イタリアン…と色々な分野に枝分かれしている。自分の問題はその枝分かれした分野のどこに所属するのか見極め、相談したい専門家は自分の問題の分野を扱っているのかしっかり調べておく必要がある。

また、自分がどのような問題を解決しようとしているかによるが、それがニッチな分野であればあるほど専門家に聞いても答えが得られないことがある。その場合は、自らで考えるしかない。判断材料を自分で集め、それらから解決方法を導き出すしか方法はないのだ。

そして、相談した相手があまりに酷い場合は見切ることも必要である。

専門家ということで鵜呑みにせず、自分の頭で考えることが、自分が求める答えへ近づける良い方法のひとつなのかもしれない。

 

採用面接で「大学の名前がいいから会ってやったんだ!」と言われた話

本来、採用面接の際は企業側と求職者側は対等である。

企業側は「こういった人材を求めている」と表明し、求職者側は「私はこういう仕事で役に立つことができます」と表明し、お互いが良いと判断すれば雇用契約に至る…というものである。また、条件や能力が合わないと判断すれば、企業側または求職者が断ることもできるのだ。

お互い対等で、雇う側も雇われる側も受け入れたり断ったりする自由があるのだ。

A社の勘違い面接官の話

自分は大学4年生の時長い期間ひどく体調を崩した。とても就職活動と学業を両立して進めていく体力がなく、いろいろ考えた末に、やむなく学業を優先し大学の単位を取ることに専念した。無事に大学を卒業し、大学卒業後に就職活動を行った。大学を卒業してから就職することに対しては、自分自身納得していたし、「体調が万全な時の方がうまくいくだろう」と思った。実際、卒業してから9か月ほどで就職できた。

 

友人たちは「大学卒業までに就職できないなんて、コイツ、終わったな…」という憐みの目を自分に向けていたが。

 

就職先が決まるまでいろいろな企業を受けたのだが、その中にA社という会社がある。そこそこの大企業であり、求人が出ていたので深くは考えずに採用面接を受けてみようと思ったのだった。

A社に履歴書を送り、書類選考を通過したのでA社へ行き、そこで採用面接を実施した。面接官は2名であった。

一方の面接官から、よくある一通りの質問(志望理由など)を受け、最後に自分がなぜ大学を卒業してから就職活動をしているのかと質問されたため「大学4年生の際は学業を優先したのだ」と答えた。

すると、それまで黙っていたもう一人の50代とみられる面接官が言い放った。

「そんな綺麗ごと信じられるか!」

自分は目が丸くなった。目が丸くなるとはこういうことなのだとその時思った。

その50代面接官は堰を切ったように罵り始めた。

「大学の名前がいいから会ってやったんだ!」

「お前は大学在学中に就職するという、皆が進むレーンからひとり外れたんだ!」

「そんなの”自分が馬鹿でした”と言わなければ世の中の人は信じないぞ!」

「これは親切心からアドバイスしてやっているんだ!」

そして、50代面接官の息子は嫌々ながらも大学在学中に就職したぞ、という話をし出した。なんじゃそりゃ。

「大学なんて入学したって何の役にも立たん!」

「だから大学は就職訓練場にすべきなんだ!!」

「世の中は厳しいんだ!!」

そして終いには

「お前みたいな人間、扱いにくくて入社されたら困る!!!」

と言っていた。

ダメだこりゃ(´・ω・`)

その時の50代面接官の態度は、尊大という言葉がぴったりであった。

 

この面接は当然ながら落ちた。が、仮に通っていたとしても辞退しただろう。

当たり前だ。この面接官たちは勘違いしている。「自分たちは”雇ってやる側”だ」「給料を払ってやるのだ」「社員は言うことを聞くだけの駒。自分で考える力なんて必要ない」という考えが言葉から伝わってきた。

とりわけ、物事の本質を考えず一般論で言われている内容を信じ込んで「自分たちの言うことが世の中の真理だ」という態度で他人に言い放つのは、思い上がりも甚だしい。

大学で学問を修めることも冒涜している。(そんなことを言うのであれば、募集要項に「大卒以上」なんて書かなければいいのに…)

50代面接官も企業で然るべき立場で働いている以上、社会を構築している一人の人間である。それなのに「世の中は厳しいんだ!!」と言って、まるで自分には責任が無いような言い方をしている。

 

こんな人間を面接官にするなんて、上の人間のマネジメントの失敗だな…と思った。

こんな会社、絶対入りたくない。

100億もらっても、入りたくない。

 

B社の勘違い面接官の話

次にB社という会社の採用面接を受けることになった。自分は大学時代にとある機械を扱っていた経験があったために、B社からオファーがあったのだ。B社の業務内容は工学寄りであり、自分は工学系ではないとあらかじめ伝えたが「面接を受けてほしい」と伝えられ、面接を受ける運びになったのだ。

B社の面接官は1人であった。面接が始まったとたん、1枚のマークシートを差し出され「それに記入をしてほしい」と言われた。

そこには「習得しているスキルの番号を鉛筆で塗りつぶしなさい」と書いてあり、主に工学系のスキル項目が50個ほど羅列してあった。

2DCAD、3DCAD、電気工事、C言語などなど…

マークできるものが、ひとつもなかった。

大学時代に扱っていた機械の名前をその他の欄に書き込んで、マークシートの書き込みは終了した。

そこから面接官は企業紹介を始め、自分の待遇の話になった。

「君はB社が求める能力の基礎が無い。」

「たとえ採用になったとしても3年間の契約社員だ。ボーナスはない。」

 「採用したら3年間の下積みののち、正規社員にするかどうか決めるよ。」

 

B社はあきらかに即戦力を求めていた。自分には適していない。だから、あらかじめ「自分は工学系ではない」と伝えていたのになあ…。

B社での採用面接でそれらを把握した自分は、採用面接終了後、即座に選考辞退のメールを送信した。おそらく、採用面接が終了してから2時間も経っていなかったと思う。

 

次の日、B社の面接官から怒りの電話が来た。

「B社の何が気に入らなかったんだ!」「給料か、勤務地か、どっちだ!」

B社の面接官は自分が即座に選考を辞退したことに腹を立てていた。

 いや、あきらかに即戦力をB社は求めているのだから、それに応えられない自分はどう考えても不適だろう。それを見越して求職者から辞退するのは妥当であるはずだ。面接官は選考辞退の理由も「給料か勤務地」と予測を立てたようだが、どちらもハズレである。

この面接官は、求職者を不採用にするのは何も感じなくても、求職者から選考を辞退されることには怒りを感じるようである。

ダメだこりゃ(´・ω・`)

 

面接官に必要なのは器の大きさ

その後自分は、無事に就職することができた。その就職先の採用面接では「自分が馬鹿でした」とは言っていない。というか、卒業してから就職活動をしている理由すら聞かれなかった。

A社とB社の採用面接を経験した自分は、入社したばかりのころは警戒心が物凄く高く「どうせお前の代わりなんかいくらでもいるんだ!」とか「これだから最近の若いもんは使い物にならねえな!!」とか言われるのではないかと思い、荒んでいた。しかし、職場の人はとても良い人で、自分の話をよく聞いてくれる人ばかりであった。尊大な態度を取ることなんて一回も無い。失礼な態度を取ったのは自分の方であった。反省…。

 

その後、自分は採用関連の仕事のお手伝いをさせてもらえる機会を頂き、採用案内の作成やインターンシップの準備などを行った。企業と求職者のミスマッチは、お互いの情報が少ないために起こることであり、それらを減らすためにできるかぎりのことを今後もしていく予定である。

求職者、とりわけ学生は、忙しい学業の合間を縫って採用面接やインターンシップに来るのである。その姿を見ると、やはり学生は大変だなあと思わざるを得ない。その真剣な姿勢に、企業側は最大限の感謝と敬意を払わなければならないのだ。

 

加えて、採用する側の難しさも知った。面接官になったことはないのだが、限られた面接時間の中でどうやって求職者のことを知るのか、正しく評価するのか、思い込みを排除するのか、面接官は苦悩していた。

それらの様子を見ていくと「面接に挑む真摯な姿勢と人としての器の大きさ」が面接官に必須であることがわかった。

 

面接官は優秀でなければならない。上から目線の勘違い人間は面接官になる資格などないのだ。

自分の大学受験の話

自分の大学受験の話~高校1年生のとき~

幼少の頃より、自分は親から「お金が無い」と言われて育った。そのため、学生時代の最優先事項は「お金がかからないようにすること」であった。よって、自分の進学先は公立の学校であり、それ以外は選択肢が無い、と考えていた。

※私立の学校が悪いという意味ではなく、自分の家計の状況を考えた場合は公立の学校が合っていた、という意味です。

 

市立の小学校、中学校を経て、幸運にも公立の高校に進学できた自分は、高校1年生の時の担任に就職をしたいと伝えた。自分が入学した高校は進学校ではあったが、現在の家計では大学に入学したところで学費の支払いに苦労することが目に見えていたためであった。

1年生の担任の先生は、大学生の時に苦学をした人であった。昼は大学に通い、夜は警備の仕事をして自ら学費を稼いでいた。両親からは一銭もお金を頂いていないそうだ。

そんな先生に言われた言葉は「大学へ行け。学歴は金になる。高卒と大卒では生涯年収が明らかに違うぞ。」というものであった。

本来、お給料というものは良い仕事(パフォーマンス)に対して支払われるものであって、学歴に対して払うものではないとは思ったものの、その先生の言葉はものすごく重かった。先生自身が苦労して得た結論であって、薄っぺらさがまったくなかった。

色々考えた末に、大学へ進学しようと決断した。

 

自分の大学受験の話~高校3年生のとき~

それから月日は流れ、自分は高校3年生になっていた。大学受験のための勉強をする1年間である。その時の自分の最優先事項は相変わらず「お金がかからないようにすること」であった。よって大学は「自宅から通える公立大学」しか選択肢は無かった。ゆえに、自分には興味のある学部を選ぶ権利はなく、お金がかからない大学と学部へ進学することしかできないのだと考えていた。

自分は高校の定期テストの成績がそこそこ良かったため、「自宅から通える公立大学」の推薦入試のチャンスを得ることができた。ものすごく嬉しかった。興味のある学部の進学をさっさと諦めてよかった、自分の選択は正しかったんだ、これまで努力してきてよかった…などいろいろな思いが溢れた。その「自宅から通える公立大学」の推薦入試の日は12月1日であった。

推薦入試が決まったあたりから、自分の成績はぐんぐん伸びた。先生もびっくりするくらいであった。今思えば、自分は浮かれていた。

特別進学クラスの子(ここではA君とする)も、自分が進学を希望していた「自宅から通える公立大学」の推薦入試を希望していたそうだが、推薦入試の枠は1つの高校に1人であり、自分が推薦入試の枠を得てしまったため、受けれなくなってしまったそうだ。ちなみに、自分は普通クラスであった。

A君に言われた。

「俺も○○大学に行きたいんだ。取ったからには絶対に受かれよ。ひとりでもライバルを減らしたい。」

自分の選択は正しかったという思いがどんどん強くなっていった。

そして、推薦入試が間近に迫った11月末、自分はインフルエンザにかかった。

ただのインフルエンザではない、当時流行していた新型インフルエンザである。インフルエンザの予防接種はしていたが、新型インフルエンザのワクチンは、自分の住んでいる地域ではまだ出回っていなかった。

医師から新型インフルエンザである旨を伝えられた時、思わず「1週間後に大学受験なんですけど…」と泣きながらつぶやいてしまった。医師はぎょっとした顔になり固まり「い、インフルエンザでも黙って受験する人きっといるよぉ!」と言い放ち、看護師の人は泣き出した自分を見て泣き出していた。いい人である。

当然ながら、新型インフルエンザが完治しないまま受験などできないので、全力で治そうと試みた。どんどん熱が上がり40度近くの熱が3日3晩続いた。その間、寝れないし勉強はできないし不安になるしで大変であった。しかし、できる限りのことをするのだと心に誓っていた。

 

そしてなんとか12月1日を迎え、推薦入試を無事終えた。結果は不合格であった。

 

自分が受けたときの推薦入試の問題は、近年稀に見るほど簡単な問題であり、当時推薦入試の指導をしてくれた先生も不思議に思うくらいの簡単な内容であった。ゆえに「てんどん丸君なら簡単だったでしょ!」と言われた。

 

しかし、自分は気づいていた。自分は不合格になると。推薦入試が終わった直後から感じていた。問題を解く感覚が、調子が良かった時と異なるのだ。

他人は誤魔化せても自分は誤魔化せない。信じたくはないが、不合格になると確信していた。

 

それから自分の成績は、面白いぐらい落ちていった。皆が成績をどんどん伸ばしていく中で、自分は急降下していった。推薦入試の直前に新型インフルエンザにかかったことが相当ショックだったようだ。

自分は、なぜこうなのだろう?自分の興味のあることを諦めて、お金がかからないことを最優先にしてきた、自分がなにか悪い事をしたのだろうか?

突然泣き出すことが多くなった。

勉強しなければならないと頭ではわかっているが、勉強しても頭に入らなくなっていた。

 当然センター試験は惨敗で、推薦入試を受けた大学はE判定である。

担任の先生はホームルームでは「行く大学で人生変わるぞ!」と𠮟咤激励するが、自分との個人面談の時は、憔悴しきった自分を目の前にすると、「大学なんてどこ行っても一緒だから、私大も考えたほうがいいよ」ともはや全く違うことを言うようになってしまった。

担任の先生と相談した結果、センター試験の結果を踏まえてもう一つの「自宅から通える公立大学」を受験することにした。正直、受かるか微妙な大学(C判定)であった。受験する学部も選んでもらった(もはや自分で選ぶ力も無かった)。併願は受けないと決めた自分に対してハラハラしていたが、受験対策も丁寧にしてもらい、先生には今もすごく感謝している。

 

もう一つの「自宅から通える公立大学」は、後期試験で合格した。担任の先生に合格を伝えたところ驚きすぎて叫んでいた。その後、職員室にダッシュし「てんどん丸君受かったって!!」と踊りながら叫んでいた。いい人である。その時の自分はというと、うれしいとも何も感じなくなっていた。

推薦入試を受験してから後期試験の結果が出るまでの時間は、気が狂いそうだったため、人間性の一部が欠如していたのだ、と今なら冷静に分析することができる。当時の自分の顔は無表情で、喜怒哀楽が全くなかった。

 

自分の大学受験の話~大学入学後~

大学入学後、1か月くらい経ったあたりだろうか。

A君を見かけた。大学へ行くためにバスを待っていた。A君が乗るバスは、私立大学へ行くバスであった。

 

 今になって振り返ると、当時の自分は、お金がかからないことでしか自分の価値を感じない狭い考えに囚われていた。高い安いだけが基準になっている、危うい状態であった。自分がどうなりたいとか、何のために勉強するのかについては、一切考えていなかったのだ。

これは貴重な経験であった。この経験は、ゆっくりとわずかずつ、しかし確実に自分に影響を与えたのだと、今なら思うのだ。